「(チッ・・慈朗の奴、どこいやがるんだ・・)」


忍足の試合が始まり、次の試合を控える選手・慈朗を探すが――姿が見当たらない。中学の頃は自分の試合が始まるまでベンチで眠っていた慈朗だが、高校に入ってからというものはきちんとアップを行うようになっていた。そして探しに行かなくても1人で戻ってくることが増えたのだが・・今日はいないらしい。
すぐに試合のない中学生の部員達に慈朗を探すように命じ、自らも慈朗が居そうな場所へ向かう。

中庭はいなかった。校内ということはありえないだろう。日当たりの良い校舎裏へでも行ってみるか。

テニスコートから少し離れたところの、高校棟の裏を歩き回る。すると、数十メートル先に人影が見えた。制服を着ていないところからすると、外部からやってきたのだろう。テニスの試合でも見に来た保護者だろうか。声をかけようと近寄っていくと、だんだんとその人物の輪郭がはっきりしてくる。


「(おい・・マジかよ・・)」


その人物は――自分の目に狂いがなければ、この間会ったばかりの少女、『桜』に違いなかった。

胸元を片手で握り締め、木に寄りかかって空を見上げている。帽子が影をつくっているため顔はよく見えない。・・泣いて、いるのだろうか?

手を伸ばせば届きそうな距離まで近づくと、ようやく少女はこちらをゆっくりと見た。帽子の下からのぞく眼鏡越しの瞳にぞくりと興奮にもにた感情を覚えながら、そっと声を掛け――ようとしたら、少女が「うわっ!」と声をあげた。まるで、怪物でも見るかのような声だ。


「ぎゃあ!薔薇の人ー!!」
「てめぇ、人の顔見て叫ぶとは良い度胸してるじゃねぇか!あぁん!?っつーか薔薇の人って呼ぶのやめろ!」
「なんで居るんですか!」
「それはこっちの台詞だ、馬鹿女!」


ぎゃあぎゃあとわめきながらも逃げようとする桜の腕を、ぎゅっと捕まえる。今度は逃げられないように用心しなくてはならない。
桜は捕まえられた腕を見ると、苦々しい顔をして「放してください!」と声を荒げた。誰が放すかよと内心毒気吐きながらも笑みを浮かべて言葉を投げかけてやる。「久しぶり――というにはまだ早いか。なぁ、桜」


「てめぇのおかげで俺が使用人に変な誤解をかけられたんだ」
「え、そんなの私には」
「まぁ、そんなことはどうでもいい。俺は心が広いから許してやる」
「心が広いならついでにこの腕も放してください」
「だが答えろ桜。てめぇ、なんでこんなところにいる。本当に、何者なんだ」


その質問を問いかければ、桜はまたぐっと押し黙って俯いてしまった。
それでも更に「答えろ」と問いかければ、桜は恐る恐ると言った感じで、口を開いた。


「桜の妖精・・とか言ったら、怒りますか?」


堪忍袋の緒が切れた。



*  *  *



この状況をいかに乗り切るかでこれからの私の人生が大きく左右される。そんな気がして、当たり障りのない答えを探した結果、私はこう答えた。


「桜の妖精・・とか言ったら、怒りますか?」


その瞬間、背中に鋭い衝撃が走る。背後にあった大きな木に押付けられたらしい。右にも左にも跡部さんの腕があり、恐ろしいくらい跡部さんの顔が近い。


「ああ、妖精サマ。俺、小さい頃からあんたに会いたかったんだ。その顔を見せてくれよ?」


にやりと意地悪く笑った跡部さんは、私の帽子に手をかける。背中に冷たいものが伝い、ばっと帽子を両手で押さえる。しかしそれも遅く、私の帽子は跡部さんの右手によって後方へと投げられてしまった。

やばい。これは、とてもやばい。泣きたい気持ちを抑えながら、急いで下を向く。あと私に残っているのは眼鏡だけしかない。ああ、どうしたらいいんだろう。


「さあ、その瞳も見せてくれ」


耳元で艶っぽくそっとささやかれ、ぞくりと寒気が走る。そうして私が抵抗する間もなく、跡部さんの手は私の眼鏡をそっと外した。ああ、ごめんなさい忍足さん。約束、全然守れませんでした!

じわりと浮かんできた涙を必死に抑えていると、跡部さんの指が私の顎に添えられ、優しく上を向かされる。初めて間近で見た跡部さんの顔は怖いくらい綺麗に整っていて、アイスブルーの瞳がとても美しかった。


「・・」


跡部さんは何を思っているのか、しばらくの間私の顔を無言で見つめた。その顔は驚いているようにも見えたし、無表情のようにも見えたし――私がその表情から跡部さんの考えていることを読み取るのは不可能だった。

今がチャンスだとぐい、と跡部さんの胸元を押し返せば、不意をつかれた跡部さんの体は大きく揺れた。そしてやっと跡部さんの腕の中から逃れた私はぐっと跡部さんを見据える。もう、この人に嘘は通用しないだろう。


「桜・・」
「・・はい、」
「お前、本当の名前は何だ?」


――てっきり、私が『』だとバレてしまったのかと思ったが、そこはまだバレてはいないらしい。不幸中の幸いだ、と少しほっとする。きっと跡部さん程のお金持ちだったら、アニメやテレビなんて見ないのだろう。良かった。だったら、私は忍足さんの妹として名乗ることができる!


「今まで嘘ついててごめんなさい。私の名前は・・忍足、です」
「・・・ぁあ?」


ぎゅっと跡部さんの眉が寄せられる。


「1回部室にもお邪魔したことがあります。跡部さんともその時話しました」
「・・!そういえば、てめぇみたいな格好した奴が――!」
「素直に名乗ったら、お兄ちゃんにも迷惑かかっちゃうと思って・・桜、って名乗ってました。今日は、お兄ちゃんの試合見にきたんです」


跡部さんは未だ私を警戒しているようで、不信感を浮かばせた瞳で私を見つめる。そして静かに口を開いた。


「だったら、今すぐ俺とテニスコートに来い」
「え!それは、駄目です!忍――お兄ちゃんに、『氷帝の人と関わらないなら試合を見に来て良い』って言われたんです!跡部さんとテニスコート行ったら、私、もうお兄ちゃんの試合見れなくなっちゃいます!」


私の腕を掴んで連れて行こうとする跡部さんの腕を逆に掴み返し、必死で訴える。せっかく忍足さんが試合に来ても良いと言ってくれたのに、これで最後になってしまうなんて絶対に嫌だ!私はもっと忍足さんがテニスをするところを見たいのに!

すると跡部さんは一瞬驚いたように目を見開き、私を再度じっと見据える。まるで、私が言ってることを嘘か本当か見極めるように。
ここで引いてしまっては一生忍足さんのテニスが見れなくなってしまうし、迷惑をかけてしまう。それは嫌だと、逸らしたくなる気持ちを抑えて私も跡部さんを見つめ返す。

どれ位の時間がたっただろうか。跡部さんが静かに息を吐いた。


「分かった。・・その代わり、来週の日曜にある、うちの体育祭に来い」
「え、ちょっ」
「良いな。来なきゃお前の住所をどうやってでも手に入れて殴りこみに行く」
「プライバシーの侵害ですよ!」


なんだかこの場を凌げそうだが、それってただ死刑宣告が長引いただけなんじゃないだろうか!
ああ、それに次の試合って慈朗くんだったよね!?見に行かなきゃいけないのに!

跡部さんは踵を翻し、こちらを少し振り返りながらひらひらと手を振った。


「じゃあな、また会おうぜ。・・


不敵に笑った跡部さんの顔が到底忘れられそうにない。



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