お昼寝をしていた慈朗くんの元を去り、歓声の溢れるテニスコートへと向かう。そういえば慈朗くん、すごく気持ち良さそうに寝ていたなあ。思わず悪戯心が芽生えてしまい、駅で買ったまだ冷たいペットボトルを彼の頬にあてると声を出して驚いていた。中々良い反応をしてくれたので満足だ。うん。


「只今より、氷帝・忍足対、法城・根村の試合を開始します。両者、礼!」


審判の合図と共に忍足さんと相手の男の子が頭を下げる。どうやら調度始まったようだ。

途端に湧き上がる両高校からの歓声。忍足さんは頭をあげると、相手の男の子を鋭い瞳で見据えた。その顔は私の見たことのない忍足さんの顔で、なんだか私は不思議な感覚に陥る。

忍足さんは審判からボールを受け取ると、地面に数回バウンドさせる。そして高くボールをあげ、とても綺麗なフォームで、力強く球を打った。


「(がんばれ・・忍足さん!)」


ぎゅっと拳を握り締める。
激しいラリーが続き、私には目で追うので精一杯だ。しかし心なしか、相手の人はどんどん息が上がっていっている気がする。・・・きっと、忍足さんが上手くボールをコントロールし、相手をより多く走らせているのだと思う。
そして、ついに――


「フィフティーン・ラブ!!」

わああああああ!!


忍足さんが、先取点を取った。途端に観客席からは氷帝コールが沸き起こる。

まだまだこれからだと言うように、忍足さんは肩1つ揺らさずに相手をすっと見据える。対する相手は息が荒く、たくさんの汗をかいている。


「頑張れ――・・・がんばれっ、忍足さん!!」


拳を握り締めたまま、周りから起こる歓声に押されるようにして声を張り上げる。忍足さんは、高くボールを上げ、黒髪を揺らすようにしてサーブを打ち放った。


*  *  *


試合は忍足さんの圧勝だった。相手に1点も取らさずに忍足さんのストレート勝ち。正直、あそこまで強い人だとは思わなかった。運動神経は良いのだから上手いに違いないと思ったが、まさか、あんなに凄いなんて。

相手から打ち放たれたボールを捉える忍足さんの瞳は、真剣そのもので。そんな忍足さんの瞳に、吸い込まれてしまう気がした。それほど彼の瞳は真っ直ぐで、相手を強く見据えていたのだ。臆することなく、手を抜く訳でもなく、本気で。

忍足さんの試合が終わって、しばらく私は呆然としていた。今すぐ駆け寄って声をかけたいという気持ちと、まるで忍足さんが別の世界にいるような・・手の届かないような人のような、複雑な気持ちでごちゃごちゃになっていた。それは忍足さんが歓声に包まれれば包まれるほど、大きな気持ちへ変化していく。

忍足さんは、私が思っているより全然凄い人なのだろう。普段とは違う一面に、なぜだか心臓がばくばくと波を打つ。


「(なに、これ・・)」


握り締めていた拳を緩め、そっと心臓の位置へ持ってくる。最近、こんな風に心臓が高鳴ることが多いのだ。

視界の先には、部活の人とハイタッチして笑う忍足さんの姿。赤い髪の男の子がぴょんぴょんと跳ねながら忍足さんの首へ腕を回す。そこへ帽子を被った青年もやってきて、笑顔で談笑して―――不意に、忍足さんの視線がこちらへ向けられる。

私を見ている訳ではないのかもしれない。いや、むしろその可能性の方が高いだろう。私の周りにはたくさんのお客さんがいるので、忍足さんが気づいている筈がない。・・けれども、忍足さんはこちらを見たまま、小さく微笑んだ。
それは、見間違えることのない、いつも私が見ている忍足さんの笑顔だった。


「(ああ、これはきっと・・)」


気づいてしまった感情に何故だか涙が出そうになり、思わず客席から走り去って人気のない校舎裏へ向い、大きな木を背もたれにして寄りかかる。ぐっとこみ上げてくるなにかを抑えて、上を向いて静かに目を瞑る。

――だって、まだ・・今はまだ、気づいていたくないのだ。


「(まだ・・、そんなんじゃ、なくて・・)」


この気持ちをどう言葉に表したら良いのだろうか。そして、そうできたらどんなに楽なのだろうか。


「(今は、まだ・・)」


木々を揺らす風を受けながら、私はその想いをぐっと心の奥底に閉じ込めるフリをした。



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